徒然草第五十段【エモ訳】誰も見てない「鬼」に大騒ぎ

徒然草

徒然草第五十段は、スマホもSNSもない時代なのに、ひとつの噂だけで都中が大騒ぎになったお話。

700年前も、人間って今とやってることマジで変わらないみたい😂

誰も見たことない「鬼」の噂で、全員で全力疾走しちゃう。

そんな人間の、不器用でちょっと笑えるお話。

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徒然草第五十段の原文

兼好さんが目撃した、あるデマに踊らされる人々のリアルな姿。

応長の頃、伊勢国より、女の鬼になりたるをゐてのぼりたりといふことありて、その二十日ばかりに、日ごとに、京、白河の人、鬼見にとて出で惑ふ。

「昨日は西園寺に参りたりし」「今日は院へ参るべし」「ただ時間は、そこそこに」など言ひあへり。まさしく見たりといふ人もなく、虚言と言ふ人もなし。上下ただ鬼のことのみいひやまず。

その頃、東山より安居院辺へまかり侍りしに、四条よりかみさまの人、皆北をさして走る。「一条室町に鬼あり」とののしりあへり。今出川の辺より見やれば、院の御桟敷のあたり、さらに通りうべうもあらず立ちこみたり。

はやく跡なきことにはあらざめりとて、人を遣りて見するに、おほかた逢へる者なし。暮るるまでかくたち騒ぎて、はては闘諍おこりて、あさましきことどもありけり。

その頃、おしなべて、二三日人のわづらふこと侍りしをぞ、「かの鬼の虚言は、このしるしを示すなりけり」と言ふ人も侍りし。

徒然草第五十段のポイント解説

物語をより楽しむための、当時の様子をサクッと解説するよ!

  • 応長(おうちょう):西暦1311年〜1312年頃のこと。
  • 鬼見(おにみ):鬼を見るための見物。当時はお祭り感覚で野次馬が集まったんだね。
  • 院の御桟敷(いんのみさじき):上皇がパレードなどを見るための特別席。とにかく一等地。
  • 闘諍(とうじょう):激しい喧嘩や争のこと。

徒然草第五十段のエモ語訳

徒然草第五十段のイメージ

誰も見てないのに街中が大騒ぎ。

そんなパニックを現代風に訳すよ!

「鬼が来た!」の大騒ぎ

あるとき、「三重県の方で、女の人が鬼になっちゃったんだって!」という噂が流れたの。

しかも、それを連れて都に上がってきたらしい、って。

その結果、そこから約20日間、都の人たちは「鬼を一目見よう」と、毎日ソワソワして出歩くようになっちゃったんだよね。

「昨日はあのお寺にいたらしいよ」

「今日はあっちの御所に行くらしい」

「いま、ちょうどあそこにいるんだって!」

そうやってみんな口々に言っている。

いや、鬼の移動スピード爆速すぎない!?

ところが不思議なことに、「自分で見た」という人もいなければ、「そんなの嘘だよ」と否定する人もいない。

身分の高い人も一般の人も、誰も彼もが鬼の噂話ばかりをしていたの。

誰も鬼に出会えない

ちょうどその頃、兼好さんが用事で出かけたときのこと。

四条より北側のエリアで、人々がみんな北に向かって全力で走っていたんだよね。

しかも彼らは、「一条室町に鬼が出たぞ!」って大騒ぎしながら全力疾走。

そのせいで、大通りは人で埋め尽くされていて、一歩も進めない状態になっていたの。

「さすがにこれだけ騒ぐってことは、本当に鬼がいるのかな?」

そう思った兼好さんは、人を遣わせて、実際に確認しに行かせたんだよね。

しかし、行かせた人は、誰一人として鬼に会えなかったの。

え、あんなにみんな走ってたのに、誰も見てないの!?

結局、人々は夕方までそうやって大騒ぎした。

それどころか、最後は小競り合いから殴り合いの喧嘩まで始まっちゃって。

本当にあきれるような、くだらない大騒動になっちゃったんだよね。

なんでもこじつける人間たち

ちょうどその頃、都ではみんなが2〜3日ほど、体調を崩す流行病のようなものがあったの。

すると、誰かがこんなふうに言い出したんだよね。

「あの鬼のデマは、この体調不良が起きる前触れだったんだよ!」って。

こうして、最後は意味ありげにこじつけて納得している。

人間って、本当にそういうところがあるよね。

徒然草第五十段、言いたかったこと

徒然草第五十段のイメージ2

兼好さんはここで、「嘘に流されるな!」と説教したかったわけじゃないと思うんだ。

誰も本物を見ていないのに、全員が鬼の噂に全力で踊らされている。

兼好さんはそんな人間の滑稽な姿を、そっと差し出しているだけなんだと思う。

デマに振り回される、人間のそんな不器用さ。

兼好さんはそれを、どこか面白がりながら、ただ静かに書き残しているんだよね。

徒然草第五十段、私はこう思う

徒然草第五十段のイメージ3

徒然草第五十段を読んで、思わずクスッと笑っちゃった。

誰も見ていないのに全員で走っている姿って、なんだかすごく人間らしくて愛おしいよね。

でも同時に、これって今の私たちの世界でもよくあること。

顔の見えない誰かの「らしいよ」に流されて、みんなで同じ方向に走り出しちゃうことって、私にもあるなって。

だからこそ、周りが大騒ぎして走り出したとき。

「え、それ本当に見た人いる?」って、ちょっと立ち止まってクスッと笑えるくらいの余裕を持てたらいいな。

流されるままに走るのをやめて、目の前の静かな世界を、ゆっくり眺める時間もたまには大切にしたいよね。

フェイクニュースの見分け方の本を読み終わったら、ブクスタに一言残してこようと思います。

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