徒然草第四十二段【エモ訳】外見より「その人」の尊さ。

徒然草

徒然草第四十二段は外見の話。

鏡を見て一喜一憂するの、もうやめない?

外見じゃなくて中身が大事なんてよく聞くけど、ぶっちゃけ今の時代って「見た目」へのプレッシャーがエグすぎない?

1000年前の兼好さんも、外見で判断する世界なんてマジでナンセンスだって思ってたみたい。

自分軸で生きるヒント、一緒に探そう!

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徒然草第四十二段の原文

1000年前の「不思議な病」の話だよ。

当時の人も、ただただ驚くしかなかったんだろうな〜。

唐橋中将といふ人の子に、行雅僧都とて、教相の人の師する僧有りけり。気の上る病ありて、年のやうやうたくる程に、鼻の中ふたがりて、息も出でがたかりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目、眉、額などもはれまどひて、うちおほひければ、物も見えず、二の舞の面のやうに見えけるが、ただ恐ろしく、鬼の顔になりて、目は頂の方につき、額のほど鼻になりなどして、後は坊のうちの人にも見えずこもりゐて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて死ににけり。

かかる病もあることにこそありけれ。

徒然草第四十二段のポイント解説

当時の人がこの話を聞いて、どんな気持ちになったか想像できる?

1000年前の兼好さんもマジで冷静に観察してたみたい。

その視点をサクッと紹介するね。

キーワード解説

  • 行雅僧都(ぎょうがそうず):お坊さんの中でもマジで偉い地位の人。しかし、不可解な病に苦しめられることになるんだ。だからこそ、運命って予測不能すぎて怖いよね。
  • 二の舞の面(にのまいのおもて):当時のコント芸能で使う、面白おかしい面のこと。つまり、元の顔立ちが分からなくなるほどの激変ってこと。マジで残酷すぎるよね。
  • かかる病もあることにこそありけれ:兼好さんの結びの言葉。ただ事実を受け入れる静かな姿勢が、逆に「人間」の脆さを物語ってるんだよね。

徒然草第四十二段のエモ語訳

徒然草第四十二段のイメージ

怖がるだけじゃなくて、寄り添う気持ちって大切だよね。

サクッと要約していくよ!

不可解な病との戦い

ある日突然、顔の形が変わるっていう不思議な病気になったお坊さんがいたの。

最初はちょっと鼻が詰まるだけだったんだけど、次第に顔全体が腫れ上がって、まるで鬼みたいになっちゃったんだって。

本人にとって、どんなに辛い体験だったか……想像するだけでマジで胸が痛くなるよね。

隠れざるを得なかった孤独

彼は周りからの視線を気にして、部屋にずっと引きこもるようになったんだ。

顔が変わる恐怖はもちろんだけど、周囲の反応も怖かったのかもね。

今の時代なら偏見なんてないって言いたいけど、ぶっちゃけどうなのかな?

だからこそ、私たちは「見え方」よりも「心のあり方」を重視したいよね。

どんな時も、人として

結局、長い闘病の末に亡くなってしまった彼だけど、この段の最後には、兼好さんの「こんな病気もあるんだな」という淡々とした書き残しがあるの。

それが逆に、私たちは「外見がどうであれ、その人がその人である」という尊さを再確認するきっかけになる気がするよ。

徒然草第四十二段の言いたかったこと

徒然草第四十二段のイメージ2
徒然草第四十二段ポイント

その人がその人であるという尊さは絶対変わらない。

見た目だけで判断しがちなSNS時代にこそ、この話がマジで刺さるんだよね。

自分軸で生きるために、このポイントを心に刻んでいこう。

どんな姿になっても、その人がその人であるという尊さは絶対変わらない。

外見やSNSのフィルターなんてマジで一瞬の幻。

だからこそ、表面的なことに惑わされず、相手の内側にある「本当の光」を大切にしたいって、ガチで思うんだよね。

徒然草第四十二段、私はこう思う

徒然草第四十二段のイメージ3

徒然草第四十二段を読んで、私はどんな時も相手の「心」を見る人でありたいと思いました。

外見に惑わされず、その人の内面にある「光」を感じ取れる人になりたいの。

私たちは、誰の「外見」じゃなくて「内面」を大切にしたいって思った経験があるかな?

外側の美しさなんてマジで一瞬で消えるもの。

つまり、本当に大切なのはその人の魂なんだよね。

今日からは、もっと深い部分で人と繋がっていこうと思う。

それが、真の「強さ」だと信じてるよ。

真の強さについての本とか読んだ後には、ブクスタに一言残してこようと思います。

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